素晴らしい本に出逢ってしまいました。人生に迷ったとき、夢を追うことに疲れたときは、背中を押してくれるような本です。
2017年に直木賞も受賞した、恩田陸さんの小説「蜜蜂と遠雷」を読んでの感想、ネタバレを含むあらすじを解説していきます。
「蜜蜂と遠雷」のあらすじ
日本で開催されるピアノのコンクールが物語の舞台です。それに参加する4人のピアニストに焦点が当てられます。
一人目は、今は亡き世界的に有名なピアニスト、ユウジ・フォン=ホフマンの弟子である風間塵。まだ高校生で、実家は養蜂家で各地を転々としており、ピアノを持っていません。それにも関わらず、生来のセンスと才能を持ち自由な演奏をし、聴く者の心を震わせたり、かき乱したりします。コンクールで入賞するとピアノを買ってもらえるため、参戦しました。
子どもの頃天才ピアニストとして活躍していた栄伝亜夜も出場のために準備をしていました。
亜夜は母の死によって、コンサート会場でいきなり舞台から姿を消し、冷ややかな視線が向けられる中7年もの間ピアノから離れていました。ある日、母親の友人であり音大の学長である浜崎が家に訪れ、その娘、バイオリン奏者の奏の支援を受けながら、再びピアノを弾き始めます。このコンクールは、彼女が音楽の世界に戻ってから最初のコンクールになります。
日本とフランスのハーフで、高い演奏技術とカリスマ性、華やかな容姿で人気を集めるマサル・C・レヴィ=アナトールは、アメリカの有名音楽院に通っており、コンクールのために来日しました。
彼は子供の頃日本に住んでいた期間があり、幼馴染の少女がいました。彼女に連れられてピアノ教室に通ったのがきっかけでピアノを始めました。彼はその少女の名前を憶えていませんでしたが、彼女との再会を願っていました。
コンクールでは最年長の28歳で出場することになった高島明石は、このコンクールで自分の音楽人生にけじめをつけようと思って望みました。音大にも行き、過去には有名コンクールで上位に入賞したこともあります。しかし、現在は楽器店に勤める普通のサラリーマンで、妻子もいます。天才たちの中で、凡人である自分なりの音楽で勝負したいと考えています。
物語は、有名ピアニストで審査員の美枝子が、コンクールの予選会場で風間塵の演奏を聴くところから始まります。ユウジ・フォン=ホフマンの弟子である三枝子は、彼の演奏を聴いて怒りがこみ上げます。
他の審査員たちが彼の演奏を絶賛するなか、ホフマンの弟子である彼女は、彼の演奏に腹を立て、絶対に認めないと非難しました。しかし、ホフマンはそのことを見抜いたうえで、風間塵を強く推薦していたことを知り、そのことを恥ずかしく思います。
しかし、彼のピアノには引っかかるものがあり、もう一度聴きたいと思わせる何かがあります。コンクールで彼の演奏を聴くうちに、美枝子の中で彼に対する評価が変わっていきます。
そして、予選を通過した風間塵を含め、他のピアニストたちがコンクールのために国内や海外から会場に集結します。中にはすでに音楽活動を行っているような有名なピアニストもいます。
100名近くのピアニストが集まる中、1次試験、2次試験、3次試験と徐々にふるいにかけられます。果たして4人はどこまで勝ち残れるのか。そして、最後に優勝するのは誰なのか。
勝ち負けだけではなく、音楽で心を揺さぶる体験、音楽を通した心の葛藤や交流も描かれています。
「蜜蜂と遠雷」を読み終えての感想
言葉にするのが難しい音楽を、見事に言葉で表現した作品でした!!それぞれの視点で、観客の反応なども交えて語られるため、まるで会場でピアノを聴いているかのような臨場感です。
それぞれのピアニストの演奏がイメージや心理描写で語られます。そのイメージの豊かさが本当にすごい!!
草原が見えたり、お城が見えたり、宇宙が見えたり…。音楽を長年されている人や耳が良い人、クラシックが好きな人にはこのように聴こえるのでしょうか。
クラシックをあまり知らない素人にとっては、こんな音楽の楽しみ方があるのか!と新しい扉を開けたような気持ちになりました。早速、作中で演奏されたクラシック曲のピアノ演奏を聴いてみましたが、素人には違いがよく分からないのが悲しい現実です…。
イメージの部分は現実でもそのように聴こえるのか、さすがにファンタジーなのか、そこを解明するためにも、音楽を理解したい、聴き分けられるようになりたいと思いました。
また、登場人物たちも魅力的です。正直、結果などどうでもよいくらい、誰が勝っても文句はないほど、すべての登場人物に感情移入してしまいました。
登場人物たちは、コンクールという熾烈な競争の中でも、互いが互いを尊敬し、影響を与えあっていました。それは、芸術にとっても日常生活にとっても、理想的な関係だと思います。
そして、作中では音楽の神様という表現が何度も出てくるのですが、恩田陸さんにも言葉の神様が舞い降りているのではないかと思いました。それくらい言葉の表現が豊かで、物語の中に引き込まれます。
恩田陸さんは、このコンクールのモデルとなった浜松国際ピアノコンクールを4度も訪れ、取材をし、登場人物たちのように客席に座って何人もの演奏を聴いていたそうです。そして、7年もかけて2段組み、500ページにも及ぶこの大作を書きあげたそうです。
いくらクラシックが好きとはいえ、音楽家の世界をここまでリアルにえがくのは骨が折れる作業だったと思います。ラブコメとしてもくどくなく、彼らの関係をもう少し見届けたいと思わせてくれるような控えめさでした。恩田陸さんの作品をもっと読んでみたいと思いました。
何事も根拠が必要
音楽をしている者として、思ったことをお話します。(趣味程度の人間が恐れ多いですが…)
作中で、音楽は数学と通じるといったことが書かれています。自分自身も、感情や雰囲気だけで音楽はできないと、常々痛感しております。
すごく印象に残ったのは、何となく弾くのではなく、すべての音に根拠を持たせる必要があると語られていたシーンです。
私は作曲をしていて主にポップスを作っています。作曲を教えてくれた先生にいつも指摘されるのが、「何を考えてこの部分を作った?」ということです。いつも私は「なんとなくいいと思って入れました」としか答えられず、「根拠がないとだめ!」と叱られます…。
演奏と作曲はおなじで、なんとなく良いと感じたものを作るのではなく、すべての構成、メロディーに理由が必要なのです。
それは、天才肌で自然児といった風間塵であっても、計算して演奏しています。彼はピアノの調律のことまで考えていて、会場のお客さんが音を吸うことすら計算に入れて調律士やオーケストラの指揮者に指示を出します。
論理的で理系?の頭脳を持つマサルも同じように、表現したいことに明確にし、やっていることにちゃんと意味を持たせて演奏しているシーンがあります。
そして、ピアノがうまい人の何がうまいのかといった部分もちゃんと語られているのがすごい。
指の連結や、音の粒のそろい方、音量や強弱など細かいところまで描写されていて、うまい下手の違いがよく分からないという人でも分かりやすいです。
ゾーンに入る
作中では、登場人物が演奏中にゾーンに入るような描写がありますが、自分が第3者になって自分を見下ろしているような感覚になると表現されています。恩田陸さんも小説を書いているときに、自分が自分を客観的に見つめているという体験をされたのでしょうか。
私はあまり自分を客観的に見たという経験が思い当たらず、ゾーンに入るという経験があまりなかったせいかなと思います。集中していたら時間があっという間に過ぎていたという経験はまた違うのでしょうか。ゾーンに入るほど集中ができたら、新しい世界が開けるのでしょうか。
そこまでの集中ができる人たちを見習って、日々精進したいと思います。
型にはまるのか、自由かつ個性重視でいくのかの葛藤
作中で、観客による評価と審査員による評価は必ずしも一致しないと書かれていました。塵の演奏は評価が分かれ、感銘を受けるものもいれば、不快感を持つものもいました。また、すでに有名ピアニストであり、技術も高いジェニファ・チャンの演奏が観客には受けるが、審査員やマサルたちにとっては誰かの二番煎じのように聴こえるという描写もありました。
こういった評価の軸や最善のアウトプットは何かといった議題は、音楽に限らず議論されているのではないでしょうか。
「すべてのことは基本から!型ができていないとだめだ!真似をしろ!」と言う伝統性を重んじる人もいれば、「他人の真似をするな!自分にしか出せないオリジナリティを出せ!」といった岡本太郎さんのような革新性を持つ人もいます。
『作曲家の意図を理解した上で基本を大切にし、そこに個性やオリジナリティを追加し、しかし、やりすぎたり奇をてらってはいけない。』
そんなことは可能なのでしょうか。技術が磨き、長年の経験や場数を踏み、人間的に成熟してやっと可能になるのでしょうか。
何が評価されるかは、単純に好みや価値観の問題ではないのでしょうか。
なんだか難しなあ…と感じて頭がパンクしそうでした。
「蜜蜂と遠雷」のネタバレ【審査結果】
この物語では、コンクールの内容が1次予選から時系列順に書かれていきます。そして、演奏している者の視点、演奏を聴いている者の視点の両側から書かれています。
聴いている者からは、演奏を聴いて湧いたイメージや自分の中に起きた変化が。演奏している者からは、どのようにその曲を解釈しどう表現するのかが丁寧に描かれています。
塵はこの世で一人きりになったとしても、ただピアノを弾きたいという純粋な気持ちで、音楽を楽しんでいます。そして、今は亡き師匠との約束である「音を解放する」という目的のために、世界から音楽を受け取るだけではなく、世界に音楽を返したいという思いでピアノを弾きます。
亜夜は幼少期は母のためにピアノを弾いていました。その母が亡くなったことでピアノを弾く意味を見失い、舞台から姿を消しました。その後は、天才であるにも関わらず、諦念のようなものを抱いていました。過去にピアノから逃げたことの後ろめたさ感じており、他人からの目を気にしていたり、自分の才能に対して自信を持つことができないでいました。
彼女は塵の演奏を聴いて、自分に近いものを感じるだけではなく、音楽に対する向き合い方が変わります。
マサルは緊張したりせず、どんなことにも動じない安定感や心の強さがあり、音楽のあるがままの美を引き出す才能があります。また、音楽に対する分析や魅せ方も優れており、観客の心を動かす技術を心得ています。演奏をえり好みせず、勝ち負けにもこだわらず、彼は客席に座って純粋に音楽を楽しみます。
そして、亜夜の演奏を聴き、ずっと探していた自分の幼馴染は彼女だと確信します。マサルは彼女の元へ行き声をかけ、二人は再会を果たします。
明石は音楽の楽しさだけではなく、ピアノを続けることの苦悩や家族への思い、諦めきれない気持ちなどを抱いていました。そして、音楽は高尚なものではなく、大衆のためにあってもいいのではないかという気持ちを抱いてコンクールに臨みます。
2次審査で落ちてしまいますが、賞を2つも受賞し、印象に残る演奏をすることができました。音楽を続けるか否か、彼の中で葛藤していた迷いは、音楽を続けたいという気持ちに変わります。
結果は、マサルが優勝。2位が亜夜。3位が塵。明石は奨励賞と、2次で演奏した課題曲の解釈が最も優れていたということで、菱沼賞という作曲家の賞の2つを受賞します。
続編がある?
続編と言うよりは、スピンオフと言う形で「祝祭と予感」という短編集が出版されています。まだこの世界に浸っていたいという方は、ぜひ!
映画化されている?
この作品を原作に、2019年に映画化されています。主演は、松岡茉優さん、鈴鹿央士さん、森崎ウィンさん、松坂桃李さんです。
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まとめ
音楽をやっている人も、そうでない人も、何かを一生懸命頑張る方にオススメしたい1冊です。
また、音楽のことが分からなくても、すんなりと物語に入り込むことができ、彼らの葛藤に共感し、感情移入することができます。少し長いですが、読み始めるとあっという間なので、まずは最初の数ページだけでも読んでみてください!
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